スイセンノウをあなたに

何が起こるかは わからないなんてさ

関心

 

このブログを書く予定はなかった。これから書くことは、いつかスペースか何かで軽く触れて終わりにする予定だった。でも、FFを含む何人かが同じテーマについて話しているスペースを聴きながら、形としてきちんと残しておこうと思った。

 

映画『成功したオタク』の感想(注意:ネタバレ有)と隙自語・思考の整理がメインで、普段のブログとはかなり毛色が異なる。それでも、このブログの記事として書いておこうと思う。

映画「成功したオタク」公式サイト

 

思いのほか長くなってしまったので、見出しをつけて分けてみた。興味があるところだけでも読んでくれる人がいたら、とても嬉しい。

 

 

映画を観ながら考えたこと

わたしは基本的に自分のことを好きじゃないけれど、オタクとしてのわたし自身は決して嫌いじゃなくて、好きな人たちはもちろん、好きな人たちの存在を通して出会ったひとや機会や物事が大切で…そんなことを考えながら映画を観ていた。

 

わたしはわたしの好きな人たちに対して、神格化するには知らなすぎるし無かったことにするには知りすぎたと思う。わたしは彼らの名前も声も知っているけれど、彼らはわたしの名前も声も知らない。

あくまで他人であるはずの好きな人たちは、わたしの人生を語る上で欠かせない存在となりつつある。その好きな人たちに何かあったら人生の根幹が揺らぐんだろうかと思ったこともあるけれど、別にきっかけはさておきその先の行動はわたし自身の選択だと、今は思う。

 

知識を得るって?

まず前提として、得たい知識にアクセスできること自体が恵まれている、という意識は明確な実感としてある。わたし自身はそういう意味で(あえて言うなら)とんでもない特権階級なんだろう。情報精査の方法を学校教育の一部として習い、手軽に情報にアクセスできる自分専用のデバイスが手元にある。そのあたりの格差が解消されてほしいと切実に考えているし、恵まれているという自覚の上で知識を得ることを億劫がりたくないと思う。

 

何事も学び切ることなどないと実感する日々だけど、知識を得続け、アップデートしつづけるということは自分の周りにいる人たちへの一つの誠意だと思う。だからこそ、わたしは何かマイナスなことが起きたりその報道に触れたりしたとき、わりと徹底的に調べてみるタイプだ。

知識を得るということは、土壌をつくるということに近いと思う。良い土がなければ良い植物が育たないように、知識がなければそこから発展することは無に限りなく近いだろう。知識があるから生きることができるし、問題を認識することができるし、理不尽に対して抗議することができるし、自分自身をまもることができるし、未来のために声をあげることができる。

 

では、知識があることでなんだって解決できるんだろうか。知識さえあれば、誰も傷つけずに済むんだろうか。わたしは今大学で学んでいるけれど、知識を得れば得るほど、現状の限界をつきつけられているような気分になることがある。所属している支援団体で新規採用のお手伝いをしている中で、熱意も知識も持ち合わせているのに支援員としてうまくいかないケースを多々見てきた。知識を得ることはベースとして間違いなく必要だけど、そこをゴールにするのはあまりにも短絡的で危ういと感じる。

 

興味・関係がある話題なら話ができる?

最近、アメリカの大学の軍需産業加担に関する学生と大学の抗争の情報を追っている。日本で報道される分では飽き足らず、BBCやCNNの報道も見ている。この熱量は元ルームメイトがその抗争の渦中にいるということがかなり関係していて、その元ルームメイトの存在が無ければここまで関心を持つことはなかっただろう。

 

とは言いつつ、そのことについて「話せる」かと問われると、わたしの場合は話が変わってしまう。

ジャニーズ事務所の性加害問題がそこら中で報道されていたあの時期、TLを流れる数多の意見に触れていながら、なかなか自分自身の意見を発信するに至らなかった。ジャニーズ事務所に所属していた人たちはこの数年わたしの関心ごとの相当な上位を占め続けていたというのに。

 

わたしは、知識がないことについてある程度知識を蓄えた実感を得られるまで喋れない傾向にある。最初から何も間違えてはいけない気がしてしまうし、間違いを恥じる気持ちがあまりにも強い。100%間違えないことは不可能なので"考えようとし続けること"に重きをおくべきであると頭ではわかっているものの、どうしても自分の間違えを恥として見てしまう。他人の間違えも意見が変わることも気にならないのだけど。

映画に出ていたオタクたちも、今後意見が変わることだってあるだろうし、自分の発言を後悔する日だって来るのかもしれない。それでも映画という思い切り開かれた場で意見を発信していた。その姿は眩しかった。

 

今言える、言いたいことを、なけなしの勇気を振り絞って残しておく。

性加害/性被害に限らず、加害/被害問題はそれを問題として認識することが鍵になる。正しい情報や経験に基づいた情報を発信するということは、誰かが問題を認識する手助けになる。だから、事務所は、もっと性加害/性被害についての情報を発信してほしい。

 

コミュニティと心理的安全

映画の中で、犯罪者になった元推しのグッズを見せ合いながら語るシーンがとても印象的だった。大学の実習中にピアサポートを見ているときの気持ちと似ていた。

あえて堅い言葉で表現するなら、「心理的安全の担保された空間」が映されていた。否定されないとわかって(知って)いて意見を一旦受け止めてくれると信頼をおく空間で、思う存分怒り、悲しみ、いくら傷ついても今後も無情に続いていく日常を思うこと。

 

Xやマシュマロは匿名ツールである。鍵垢でない限り閉鎖されていないし、いわゆる「顔の見えない」関係性。でも、先日のスペースは確かに対話だった。

対話のやり方 | Q | NHK for School

オンラインであり、好きな人たちが共通しているという一点突破に近い形でランダムに集められたコミュニティでの対話。オタクは多様であるからこそ相手と自分自身は違う人間であると線を引いた上で話し、オンラインであることで実体を持たず円になれたのかもしれない。

 

これって諦めなんだろうか

組織や社会、場合によっては個人に対しても、意見をするというのがとても億劫に感じることがある。

理由は様々で、前に言っても話を聴いてすらくれなかったという体験だったり、この人に話すのはなんとなく怖いという漠然とした恐怖感だったり。そうして押し込めてきた意見たちは、また別のところで別の形で発散されることもあれば、ずっと燻っていることもある。

 

例えば、わたしは実習中によく別の学科と間違えられる。一昔前まで、わたしの所属する学科は男性が圧倒的な大多数で、同じ場所にいる女性は別の学科の人がほとんどだったことが影響していると推測できる。1年生の頃は悪意を持ってのものかどうかを考えたこともあるけれど、今はもう何も考えず笑顔で訂正している。同じ人から何度も続けて間違えられたときは支障が無さそうなら、受け流している。

これらは諦めているということになるんだろうか。

 

少し話は変わるが、先に述べたようなことがあったとしても、個人に対して腹を立てることができない。差別は個人ではなく社会の構造に問題がある、という考え方を知って数年が経った。わたし自身も多元的に見ればマジョリティとマイノリティを併せ持っていて、その中で無自覚的に差別や格差構造に加担してしまっているのだろう。そう気がついてからは、どす黒い気持ちは個人でなく社会に向くようになった。似たような話は今年度の東大の式辞にも出ている。

令和6年度東京大学学部入学式 総長式辞 | 東京大学

 

社会は巨大だ。想像もできない、一生触れない部分があり、未知数の個人の集合体だ。そこに向かって意見するなんて、怖い。未知数であるということへの解像度が上がれば上がるだけ、どんどん怖くなっていく。周囲の人を傷つけないように気を配り、自分が加担してしまっている構造を考えつづけることはしていきたいけれど、できることなら意見も指摘もせずにひっそり生きていたい。これも最近の若者らしい無関心なのだろうか。これもまた、諦めなんだろうか。

 

これを諦めと言われたら、それはそうなんだろう。だって何も表出させていないから。やる前から諦めるなと誰かから叱られ、「これだから今どきの若者は」とため息をつかれるのだろうか。

「スンッ」より「はて?」で世界を開け 「虎に翼」作者インタビュー:朝日新聞デジタル

世界を開き続けられるだけのエネルギーを持ち続けられるんだろうか。今のところ、あまりそういう想像ができない。

 

とりあえず、明日起きるために眠りにつく人を好きでいる限り、わたしは明日を見ようと思えるので、もう少し考えつづけて、また誰かと話せたら良いなと思う。

残像

映像作品には、作り手と受け取り手の間にタイムラグがある。映像作品に限らず、アイドルを好きでいるとほとんどのことを後から知るけれど、特に映画は特にその性質が強い。1年なんてまだ短い方で、撮影から公開まで2年近くのラグがあることもある。

 

同じ時代を生きている人間同士。ライブに行けば会うことができる人。たまにラジオでほぼ同じときを過ごすことができる人。でも、残像を追う方がしっくりくる。

 

残像を撫でているとき、なんだかドキドキふわふわした、不思議な気分になる。北斗くんになりたいとは思わないけれど、いる世界に触れたいとは思う。この一方的で甘やかで少々毒々しい感情を、残像を生む距離を、結構好きだ。

 

北斗くんの地元である静岡を、カムカムエヴリバディとそれに付随したドキュメンタリーをきっかけに岡山と長崎を、キリエのうたをきっかけに宮城を訪れた。夜明けのすべてをきっかけに、出張先で夜明けを見た。戦争学習も震災学習も苦手な人間が、長崎や宮城を訪れ、学び、たしかに何かを得たということ。何より、進路の選択から逃げずにいられたこと。その先で夢の途中にいること。

 

ずっと一緒にいたわけでもないのに、よく記憶に残っている人がいる。たった一度の嫌味、たった一度の親切。わたしにとってのそれらには共通項がある。わたしの人生を変えたということ。一度の嫌味でわたし自身のコンプレックスを突きつけたり、一度の無自覚っぽい親切で救ってくれたり。

 

今後の人生において、北斗くんを好きでいた期間の出来事を思い出すたびに、似たことを体験するたびに、彼のことを想うことになる。勝手に救われて生きている。夜がどんなに暗くても、朝が来ることに絶望しても、曇りで星が見えなくても、わたしの中に宙がある。その空にいつか殊更に光る星があったことを、何度だって思い出す。その光を、わたしは追う。この大嫌いで愛おしい日々の中で、残像を追い続けている。

 

入所15周年おめでとうございます。

お芝居の話ばかりしてしまうけど、アイドルも俳優も本業でと語ったあなたのことを苦しいくらい好きです。健康で、望む限り幸せでいてください。いつもありがとう。

道標

2020.6.19、元担が退所した。頭は真っ白だけどやけに冷静なわたしがいた。

「運命のイタズラにいくら傷ついても、わたしはこの物語を生きるんだと思う。だから、またね」

甘。甘いし、甘かったし。ふわふわしたピンク色のお菓子みたいだった。アラザンとかでキラキラに装飾されたやつ。

時代に逆行しているように聞こえるかもしれないし、なんだか誤解を生みそうな表現ではあるけれど、あえて言いたい。

あの頃のわたしは、「女の子らしい女の子になりたかった」。

ワンピースやスカートが好きで、ピンクや白が好きで、いつも可愛らしくふわふわにこにこと笑っていられる、わたしの考える「女の子らしい女の子」になりたかった。

2016年の24時間テレビでちらっと見た泣きそうな顔が頭から離れなくて気になり始めて、その後アルバムを聴いて、あっという間にファンになった。

ファンをお姫様扱いしてくれるものだから、わたしは彼の前では「女の子らしい女の子」をやれた。ツインテールがデフォルトで、ピンクが好きで、ふわふわしたスカートが好きで、あざとい振る舞いだって照れずにできる、そんな女の子でいられた。

「子猫ちゃん」「ハニー」は、文字通り恥も外聞もかなぐり捨てて、全力で「女の子」でいさせてくれる魔法の言葉だった。

「出過ぎた杭は打たれない」なんて言って豪快に笑ってみせる姿に本気で縋ったこともあった。生で見たときにはビンッってレーザーみたいに放たれるオーラに圧倒されて涙が止まらなかった。

親しい人に褒められると急に照れちゃうところは同じ人間だなと思えて嬉しかった。バラエティ番組では破天荒でわけわかんないこともするのに実力は確実に認められていて眩しかった。

ある時期から「集大成」って連発するから「終わりが近いな」って感じさせてくれちゃう、取り繕うのが下手なところもなんだかんだ愛おしかった。幕切れは最悪だったけど。

「好きの反対は無関心」ってよく言ってたけど本当にその通りで。今何してるとか全然知らないし、まあ、幸せでいてくれたら良いなって思ってる。それだけ。



2019年4月に今の自担に出会った。

いわゆる「ドラマ堕ち」だ。彼にとってお芝居への気持ちが高まるきっかけの作品でもあるらしいので結構気に入っている。

一目惚れ、と言ったらロマンチックすぎるだろうか。でも本当に一目惚れだったと思う。


わたしにはわたしの「好き」がある。

そんな、人によっては当たり前のことをようやく自分のこととして認められたのは自担と自担の所属するグループのおかげで。

周りの目を気にせずに、好きなものを好きでいる、その覚悟への後押しが必要だった。それをしてくれたのが自担なのだと思う。

今、邦楽も洋楽もKPOPも、シティポップもHIPHOPもクラシックもジャズも、「好き」なら本当に何だって聴くわたしがいる。

スカートだってワンピースだって気兼ねなく着るし、ピンクが着たい日には着る。レースで編まれた花のモチーフが大好きだと最近ようやく素直に認められた。

ちょっと勇気が必要な日にはおそろいの時計やブレスレットを身につけて、ピアスもたくさんつけて、そうやってちょっと強くなった気分になる。ライブでたくさんのリングを重ね付けする自担と一緒だ。

「好き」に囲まれたわたしは楽しそうだろうなと、ふと冷静に考えてニヤニヤする。その時間も愛おしい。


将来に絶望したとき、衝動的に自担の地元に行った。深夜に決めて、ほぼ寝ずに朝4時半に家を出た。

高校生だったわたしには新幹線の切符すら大金だったはずなのに、そんなことは何も考えられないくらい絶望していた。

自担の地元に行って、それを区切りに夢を諦めようと思った。

降り立ったその場所は緑が多くて、空がとても広くて、道幅が広かった。その駅の周りをしばらく歩き回って、少しだけ自分のためにお土産を買った。在来線に乗って静岡駅まで行って、静岡駅から品川駅まで新幹線に乗った。自担がレッスンのたびに上京していた頃のシチュエーションをなぞりながら、ずっとずっと泣いていた。

どうしても諦められなくなってしまった。

好きやら憧れやら嫉妬やらが混ぜ合わされた得体の知れない感情が、わたしを逃がしやしなかった。

あなたのせいで諦められないじゃないか、なんて泣きながらヘラヘラと宣っていた。同時にどこかではっきりとわかっていた。わたしがした、わたしのための選択だと。

わたしが長年の夢を諦めようと何をしようと、自担には何の影響もないのだから。

そうとわかっていても、自担が忙しそうにすればするほどジタバタと足掻けた。当時の記憶は朧気だけど、自担に張り合うようにがむしゃらに進もうとしていた。諦めの悪さは数少ない似ているところだと思う。

結果的に、大切にしたいと心底思える環境に恵まれて、幼少期からの憧れと大切な友人と交わした約束を包んだ夢を見続けている。

きらきらひかる、しょっぱくて青臭くて眩しい夢。

夢への道はまたひらけた。今とれる最速ルートで、びっくりするくらい順調だ。わたしの力であり、わたしだけの力ではない。わたしはそもそも努力が苦手だから、大半は周りの力と運だ。

わたしが夢に向かう選択をするための手助けを、たくさんの人がしてくれた。その中に自担もいる。言ってしまえばただそれだけの話なのかもしれない。でも、あのとき確かに感じた光の道を導き出す感触は、わたしにとってとても特別なのだ。今でもその魔法にかけられている。


会ったことのない人を好きになって、それが素敵な切符になった。


わたしの名義はこの前初めて仕事をしたのだけど、なんと静岡を当ててくれた。奇跡だと思った。

はじめまして、は静岡エコパアリーナだった。

はじめましての前日にほぼ2年ぶりにあの時の駅を訪れて、ボロボロ泣いた。わたしはあの時より明らかに夢に近づいていた。

「救ってもらった」と唐突に言葉が浮かんだ。わたしは生まれてこの方無宗教だけど。高校生だったあのとき、わたしは確かに自担に人生を好転させてもらった。大袈裟だと笑われそうだし、重荷だと嫌がられそうだ。最悪だ。

ライブでも泣いた。いつか、メンバーのひとりが「俺らのライブで登場で泣く人はいないでしょ(ニュアンス)」と発言したらしいけど、Overtureだけで泣いた。まだライブは始まったばかりなのに、姿すら見えていなかったのに、それでも「ありがとう」って何度も何度も心の中で叫んだ。とてもとても幸せな瞬間だった。

わたしが好きになった頃の茶髪とあまりにも近いビジュアルで、一瞬全部都合の良い夢かと思った。受験が上手くいったことも静岡公演に来れたことも。でも、わたしの隣にいた大学同期の腕の感触が現実だった。

2ヶ月後からスタートするドラマと映画の番宣を、そのどちらの役とも違う茶髪でしていた。追いつかない追いつけないと焦りと嫉妬を抱きながら、この人を好きでいながら見るわたしの夢はきっと素敵だなと確信した。

名は体を表すと言うけれど、わたしにとっての自担はまさにそうなのだろうなと、今は思う。これから変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

でも、今のところわたしはわたしの夢を追うために道標が必要で、わたしの北極星を見つめつづけるために北斗七星を追う。

27歳、おめでとう。

明日が楽しくなる魔法をありがとう。


松村北斗の本格俳優元年

わたしは自他ともに認める俳優・松村北斗さんのインタビューのオタクである。

 

そもそもインタビュー、というものが好きなのだ。スペースでエピソードをすぐに引っ張り出してくるので「辞書」というあだ名(?)がついたこともあるくらいには。長いこと仲良くしているリア友ジェシー担に軽く引かれたくらいには。

加えて、北斗くんがお芝居のことを話す言葉に触れるのが大好きだ。この、一万字近くなるだろうブログを書くことをさっくりと決心するくらいには。

 

これは、俳優・松村北斗さんが大好きな一オタク*1が2021年の彼のことを語る、ゆるい記録兼備忘録である。

 

 

話は2020年6月23日に遡る。映画『ライアー×ライアー』の情報が解禁された。森七菜さんとのW主演。本人的には意外だったであろう、ラブコメ実写化。そして2020年11月30日*2SixTONESが「僕が僕じゃないみたいだ」で主題歌を歌うことが発表された。

2021年が俄然楽しみになった。

 

そして明けて2021年。北斗くんはじゃんけんを勝ち抜いてSixTONESの2021年のリーダーになり、なぜか生放送の番組でぬいぐるみの牛にキスをして、一年をスタートさせた。時をほぼ同じくして、怒涛の雑誌ラッシュもスタートした。

 

ここからは『レッドアイズ』『ライアー×ライアー』期間の雑誌やラジオで印象的だった言葉たちを抜粋しつつ語っていきたい。そもそもそれらの雑誌が「全勝してきます」ブログ*3のものであることは、最初に語っておきたいけれど。

 

「(オファーを受けて)「ラブ……コメ……?『え、松村北斗がラブコメやるんだ〜?』みたいな(笑)。どこか他人事みたいな感覚になっちゃって。『ラブコメの顔できますかぁ〜?』と自問自答してしまいました。」(CHEER vol.6)

人気の漫画が原作のラブコメ作品実写化W主演を今をときめく若手女優と務め、所属グループで主題歌を歌う。正直、アイドルとしてど王道である。間違いない。自分のことを「イケメン亜種」*4と形容したことのある北斗くんだけど、かなりの王道アイドルの面もあるんだよな、と『ライアー×ライアー』期間を見て感じる。

 

「(コロナ対策の中での撮影だったことに関して、それ特有の苦労もあったのでは、という問いに)それに関しては、僕ら以外の部署の方がすごく大変だったと思います。(中略)僕らがいつも通りの演技や仕事をするために、周りの方々が様々な制約を受けているんだろうなというのは、この作品に限らず、どの現場でも思うことですね。」(シネマスクエア vol.125)

現場での在り方、気の配り方について。耶雲監督とのラジオで話していたことが思い出される。

 

北斗くん「(耶雲監督を「耶雲さん」と呼ぶことから始まり、スタッフを名前で呼ぶことに関して)俳優部とそれ以外の部署の間に軋轢があるなって。それすごい寂しい。なんか横並びのはずじゃないですか。」

耶雲さん「まあ特に俳優部、俳優部って言うじゃないですか。(他の部に所属している人たちも)全員一つの部署の部員たちって思えば、全然対等だとは思うよもちろん。」

北斗くん「いろんな部が一緒に作っているって思うとちょっとこう俳優部だけ、まあ僕もこの世界に入る前ちょっと俳優さんのものってイメージあったんですよ作品って。でもなんかそうじゃないって入ってからわかるじゃないですか。だからなんか、監督って呼ぶのも、合ってはいるけどって思いがあって。」

(「TOKYO SPEAKEASY」2021年2月11日放送)

 作品に携わる一人としての対等な目線を感じた。現場でスタッフさんに対して名前で呼びかけることを徹底していたことからも感じるその意識は、結果的に非常にクリエイティブな現場を作り出したそうだ。熱量が人を動かす、熱い現場。

 

「確かに、主演の場所にしかないような役もあるので、そういうものも経験したい気持ちはあります。でもこだわりがあったかというと、そういうことではないと思いますし、じゃあこれから主演級のものばかりを選り好みたいかといったら違うなと。(中略)俳優部という場所があるように、他にも部がいっぱいあって。みんな同じくらい高い熱量で作品作りに臨んでいる。」(BARFOUT! vol.306 2021年3月号)

「またこのスタッフとお仕事をしたい」と満面の笑みで話していた松村。それだけ、現場が充実していたということだろう。その充実感はしっかりと作品に反映されているし、何度も観て、何度もキュンキュンさせて欲しいと思える作品に仕上がっているのだ。(FLIX 2021年4月号)

自分はあくまで作品のワンパーツである、という話は以前からよくされている印象がある。お芝居のお仕事だけでなく、SixTONESとしてのお仕事にも、根底にはその考え方があるんだなあと彼の言葉に触れる度に感じる。

 

「(SixTONESでのパフォーマンスにおいて)周りに馴染むばかりがいいわけでもないですし、一番目立てばいいわけでもないですし。その場その場で何が自分にとって、グループにとっていいのかということを探して、できるだけ近づけると言う意味では、お芝居も同じだと思っています。」(CUT No.430 2021年3月号)

全てのパーツがより良く在り、機能することで、作品が良くなることを知っている。そして各パーツの連動が上手くいかなければ、それが作品にそのまま現れてしまうことも。同じ作品に関わる同志に対してリスペクトをもって接する姿はteam SixTONESの思想に通じるものを感じる。

 

「主題歌が流れてきた時にすごくグッときて。主題歌のタイトルとSixTONESって名前がエンドロールに出た時が一番うれしかった。結構SixTONESが好きなんです、僕(笑)。」(TVガイドplus vol.41)

実際に映画を観賞した身からしても、そのクレジットはグッとくるものだった。北斗くんは確かに「SixTONES」の一員であることを感じて、ジャニーズアイドルのお芝居に憧れて事務所に入った一人の少年の未来の姿として眩しいなと思ったことをよく覚えている。

 

「すごくうれしかったのは、「オレら、この映画でこの曲を歌えてマジで良かった」って言ってくれたこと。それがもう、何よりもうれしかった!ちゃんと本編を観て、最後に流れる曲を聴いた上での感想だから。ヘタしたら、今までメンバーといてあんなに温かいことなかったって思うぐらい温かかった(笑)。しかも、映画を観た日の夜中、ジェシーからわざわざまた「マジで最高だった!いい映画を観た」っていう連絡が来たんです。なんて言うか…こそばゆいなって(照)。」(TVfanCROSS vol.37)


www.youtube.com

 

この件についてはしっかりとここに記録されていて、それがとても嬉しい。ちなみにこの鑑賞会の後に行われた生配信*5でも、その柔らかな雰囲気を感じ取れる。

このYouTubeで個人的にグッとくるのは鑑賞会が終わって北斗くんが合流した時のあたたかくて甘くてふわふわとした雰囲気と、「以上、SixTONESと、透でした!」の部分。少しずつニュアンスは違えど、「SixTONES」は6人それぞれにとって帰る場所なんだろうなと感じる。

 

「お芝居に関しては、やっと職業としてのスタートを切れたような感覚はあります。今までは序章とか、前書きみたいな感じだったのかな。でも俳優としてはまだ孵化してないんですけどね。あ、これさっきも言いましたよね(笑)」(日経エンタテインメント!No.287)

これが序章や前書きなら、今後ますます目が離せないなと感じた。そして、後述のキネマ旬報のインタビューでは「松村北斗の本格俳優元年」と言わしめているのだから恐ろしい。

 

「(ラブコメが初経験であることに関して)大きな刺激になりました。まるで、いままで伸ばしたことがないところのストレッチをしているような感覚ですね。」(JMovieMagazine vol.67)

いろんなジャンルの役に挑戦することで視野が広がり、今まで見えていなかった「わからない」がわかるようになる、という表現をしていたこともあるし、それは言葉を変えると「いままで伸ばしたことがないところのストレッチ」になるのだろうと思う。また新たな、気づいていなかった筋肉に気がついて、そこをのばして鍛えていくのだろうと思う。バランスが取れた身体になるように、一つ一つ丁寧に鍛えていくのが想像できる。

思い出される出来事が一つある。2021年8月20日のMステの時、スマホを連打するタイプの投票企画があった。北斗くんは右利きなのに「左手で」連打をしていた。金スマで中居さんからもらったアドバイス*6を忠実に実行しているのを見て、努力の人なんだな、と感じた。そうやって、気がついたことや指摘されたことを一つずつ改善して、高みに登っていくんだと思う。

 

「はたから見たら大変だねってなるような忙しさも、『あぁ、ダメだ』って挫折することも、満喫しているんです。いろんな経験を通して、そういう職業に出会うことができるのが全員ではないというのが分かってくると、すごく幸せだなと思うし。適した職業につくことができたんだなって、今の段階では思っています」(TVガイドAlpha EPISODE MM)

「(お芝居の仕事をしているときの)自分のなかのサゲやアゲを心の底から満喫していて。『こんな幸せな仕事ってほかにないだろうな』ってことにここ数年でようやく気づいたんですよ。(中略)多分、自分は演技してるという状況が好きなんですよね。(中略)これからもできるだけ長くずっと演技の仕事をさせていただきたいと思ってます。」(T. No.43 2021WINTER)

自分ではない誰かの人生を生きることを満喫している北斗くん。個人的には、「ジャニーズ事務所所属のアイドルでSixTONESのメンバーの松村北斗」という役を生きているように見える場面が多々あるので、いつかその辺りの話も聞いてみたい。

俳優・松村北斗のファンとしてはずっと彼のお芝居を見ていたいから、今後も長く魅せてもらえそうなことが素直に嬉しい。今度はどんな作品に出るのかな、と期待を寄せながら日々を過ごしている。

 

 

余談になるけれど、『レッドアイズ』放送期間および『ライアー×ライアー』のプロモーション期間で印象的だったことの一つにNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』への出演発表*7がある。夕方にネットニュースを目にした時のあのゾクゾクする感覚は、きっとずっと忘れないと思う。

「この度、初めて朝ドラに参加させていただくことが決まり、本当にうれしいです。キャラクターとして演じる稔と僕自身は大きく違います。しかし、台本を読んだ段階からこの役を満喫できる確信がありました!皆さんの朝の楽しみの一要因になれれば幸いです。」(NHKホームページ*8

当時朝ドラに対しての知識がまるでなかったので、「いつか出てほしい」と訳もわからず言っていたことを思い出していた。どれだけ凄まじいことなのかはやっぱりよくわからなかったけれど、「北斗くんが嬉しいならわたしも嬉しいな」と感じたことはよく覚えている。

ヒロインがオーディションで決まることが多いのは聞いたことがあったので、北斗くんもオーディション受けたのかな、とか、よくわからないなりに色々想像を巡らせたりもした。*9

これ(『ライアー×ライアー』)でお世話になった耶雲さんには直接伝えたくて。朝ドラ、決まりました。朝ドラ…やっぱり演技をするものとしては通ってみたいなって思っていたところだったので嬉しくて。(「TOKYO SPEAKEASY」2021年2月11日放送)

発表からさほど間を置かず、期せずして本人の言葉をダイレクトに聴けた。それはとても嬉しいものだった。今になってみると、お世話になった人にきちんと報告する、その様をファンにも見せてくれるところに透くんに通じる素直さや稔さんに通じる誠実さを感じる。

 

 

少し月日が経って2021年4月27日。

2021年5月31日にテレビ東京系列にて仲間由紀恵さん主演のドラマ「女王の法医学〜屍活師〜」が夜8時に放送されることが決定し、ワンコ役は北斗くんだった。*10
「これぞ仲間由紀恵」と言われる、説得力のある方だからこそ、僕も果敢に挑んで熱量の高い現場になればと思います。(SCREEN ONLINE*11
法医学教室の女王様に振り回される医学生役、という役。わたしは薄暗い講堂でのシーンがとっても好きなので、見たことがない方はぜひ2月19日の再放送を見てほしい(番宣?)
 
さらに時が流れて、2021年秋。何食べとカムカムの雑誌ラッシュが始まった。
 

「僕はまだこの世界では若くて経験も浅いので、何が正解かも分からずにやっているんですよね。あれは良かったかな、これはちょっと遠回りでうまくいかなかったかなっていう繰り返しの中で、内野さんと共演させていただいた時間は、自分にとってはすごく勉強になった経験でした。」(シネマスクエア vol.130

内野さんとの共演で学んだことは情報解禁当初から舞台挨拶まで一貫して語られていた印象で、それだけ大きな出来事だったのだろうと思う。
 

「自分の中で『こう演じる!』と決めてしまうと身動きが取れなくなってしまうこともあって……だから現場の空気に応じて臨機応変な表現をすることも大切。一緒のシーンが多かった内野聖陽さんは、やはり引き出しの多さも懐の深さも別格で。僕の中で役作りに対する考え方が大きく変わるきっかけとなる現場でした。(VoCE 2021年12月号)

わたしは一億円*12の北斗くんのお芝居が本当に好きなので、この撮影期間を経たことは確実に糧になったのだろうし、糧にできるだけの度量も努力量もあることが確信できて勝手に嬉しくなっている。

 

「本当は、現場に入った瞬間に100点の状態から始められるのがベストなんでしょうけど。でも、撮影中、吸収とアウトプットを繰り返し、必死で食らいついたつもりです。周りの方に、演じる時代の雰囲気がする顔つきだと言っていただき、絵は馴染んでいるのかなと。放送を見て自分でどう思うのか、楽しみです。」(an・an No.2273)

彼の話を聞いていると、稔という役を通して様々なことを発見し、演じることを楽しんでいるのが伝わってくる。ひとつひとつの作品の経験が積み重なって、これからもどんどん魅力的な役者になっていくだろう。(FLIX 2021年12月号)

北斗くんの「稔さん」としての佇まいや所作はパブサでもかなり話題に上がっていて、それを見るたびにとても嬉しくなった。「必死で食らいついた」北斗くんは、きっとその時代を必死に生き抜いた雉真稔という青年を本気で誠実に生きていて、それが端端から滲んでいたのだと思う。

 

「俳優としてまだ未熟ですが、未熟者なりに何かを見い出して、まだ僕のことを知らない方にも、僕を見て”この作品いいな”と思ってもらいたいです。それで作品に対しても恩を返せたらと考えていますし、さらに”この人、応援してみようかな”と感じてもらえたら、SixTONESのメンバーにも何か返せるのかなって。この現場を経験し成長してグループに帰ってこられたら、自分に対してもすごく意味がある場所だなと思っています。」(シネマスクエア vol.130)

実際に「稔さん落ちのスト担」誕生の様子をリアルタイムで見られて、「今だけ!!このツイートだけ*13 !!見て!!!!!!」という気持ちになった。作品やグループをとことん大切にする姿勢がとても好きだし、SixTONESは、グループは、北斗くんにとっての「帰る場所」なのだなと改めて思った。

 

僕自身は、自分がそのジャニーズのイメージにハマらないことを不安に思うこともなければ、イメージにハマらないことを不安に思うこともなければ、イメージに寄せようとも思わない。でも、「ジャニーズっぽさ」という基準が世間に浸透しているのは僕にとってはすごくありがたいですね。一般的なイメージとズレているのなら目立てますし、ハマらないことを逆手に取ることもできますから。(日経エンタテインメント!No.287)

「稔さんってジャニーズなの!?演技すごい」「ジャニーズは演技もできて歌も踊りもできるのか…」「最初はジャニーズか…と思ったけど、松村北斗さんが稔さんを演じてくれて本当に良かった。価値観が変わった」といったツイートたちを見るたびに、なぜかわたしまで鼻高々になってしまう*14のを許してほしい。だって、ジャニーズアイドルのお芝居に憧れてジャニーズになった人が受ける最高級に近い賛辞じゃないか。

そしてこれはTLで見かけて「ジャニオタとしてのわたし」としてすごく腑に落ちた感情ではあるけど、戦争をテーマにした作品を世に送り出し続けたジャニーさんは、きっと北斗くんが稔さんを演じ、結果として多くの若い世代が戦争について改めて考えさせられることになったことを喜んでいるだろうなと。

 

 

ところで。わたしは自他ともに認めるキネマ旬報松村北斗さんのインタビューのオタクである。

在庫が見つからないと嘆くツイートにそっと在庫のURLを貼り付けたリプライをし、スペースで十数分を割いてキネマ旬報のインタビューが素晴らしい話をした。最後のあたりはもうそらで唱えられるくらい読んでいる。ここまでくるとちょっと狂気じみているかもしれない。自覚はある。*15

 

俳優デビューはジャニーズ事務所入所から3年後の2012年であるから経験はあるものの、(中略)俳優としての活動が相次いだ2021年は、"松村北斗の本格俳優元年"と言っても差し支えないのではないだろうか。(キネマ旬報 2021年11月下旬号より)

小牧要から始まり、高槻透、犬飼一、雉真稔、田渕剛。役の振れ幅に驚嘆したし、『レッドアイズ』と『ライアー×ライアー』、『カムカムエヴリバディ』と『きのう何食べた?」の同時供給にうれしい悲鳴をあげた2021年。間違いなく「本格俳優元年」と言えると感じた。

 

「グループ活動、個人活動、全てを本業と言える人を目指すべきだ、べきだというか、僕はそのスタンスでいるのが性に合ってるかもしれないと。なので、今グループ活動があって、個人活動…今お芝居を多くやらせてもらっているので。特に言うとグループ活動とお芝居というものをきちんと本業として捉えてやるべき。」(「今宵、ロックバーで」 2020年9月27日)

ツアーと並行して『レッドアイズ』『カムカムエヴリバディ』(おそらく『女王の法医学』も)の撮影準備と撮影をしている時期、そのツアーのステージ袖で満面の笑顔を見せてくれたのがすごく鮮烈で眩しかった。ライブの始まる直前、「あーやばい、楽しい!」と言っていて、*16この人はなんて全力でアイドルなんだろうって頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

北斗くんは俳優もアイドルも両方本業にしていきたいと、雑誌やラジオで度々明言している。その言葉を体現した姿があった。

 

「いや、今はあっぷあっぷ、です。新しいことや今の自分にはレベルが上のことが続く時期で。そうですね……あっぷあっぷです(苦笑)(中略)ただ、あっぷあっぷでもなんとかもつんだったら、やっぱり今のうちにやっておきたいことがいっぱいあって。……そういうモチベーションですかね」(「キネマ旬報」 2021年11月下旬号)

アイドルも俳優も全力で本業にしている、その状態は確かに「あっぷあっぷ」なのかもしれない。だけど、だからこそ、わたしは声を大にして言いたい。「忙しく働いてる姿、めちゃくちゃかっこいいよ」と。*17 

「今のうちにやっておきたいこと」、それは例えば学生服を着ておきたい、とか具体的なことなのかもしれないし、もっと概念的なことなのかもしれない。それらを一つ一つ叶えて、こちらに見せてくれようとするその背中に、できることなら追い風を吹かせたい。無理でも、逆風にだけはなりたくない。そんなことを考えながら、このインタビューを読んでいた。

 

キネマ旬報のインタビューの核は最後の数段落にあると思っている。

望む俳優像を尋ねられ、

「(略)お芝居に限らず、あんまり決めないようにはしています」(同上)

と、これまでと一貫した答えを聞かせてくれる北斗くんに感服したし、その後の

と前置きしつつ、本心が溢れるかのように言葉が続く。(同上)

にふわふわした気持ちになった。これはきっと安心とかその類の気持ちなのだろうなと漠然と感じる。こちらに見せなくたって良いから、好きなものを好きなだけ想える環境であってほしい、これは傲慢な願いなのだろうか。

「(略)結局、信念や好みを自分の中にきちんと持っている、"人としてどうか"ということになるのかもしれないですけど、いくら閉じ込めても漏れ出ちゃうような、その人から香る何かっていうものをすごく魅力的に感じます」(同上)

この言葉を受けての最後の段落が本当に秀逸だし、わたしは何度読んでも前が滲んでしまうので、ぜひ読んでみてほしい。今後「俳優・松村北斗」を語る上で、欠かせないインタビューになる気がしてやまない。何年か後に新しく北斗くんを知った人全員に読み聞かせしたいくらい。

 

もう少しで『僕が僕じゃないみたいだ』のリリースや『ライアー×ライアー』公開初日から1年が経つ。まるで昨日のことのように感じる一方で、3年以上経ってると言われても信じてしまいそうな自分もいる。

そのくらい、濃密な一年だったんだと思う。

このブログをちんたら書いている間に、『ホリック xxxHOLiC』(通称:ホリック)や『恋なんて、本気でやってどうするの?』(通称:恋マジ)への出演が発表された。

Feel da CITY静岡公演で、カムカム、ホリック、恋マジの番宣をしている北斗くんを見た。宣伝しているどの役も黒髪で、でも北斗くんは茶髪だった。仕事以外で髪を染めることはないと話していたから、きっと期待していいんだと思う。爆速で進んでいく北斗くんの姿を2022年も見られることがとても嬉しい。

 

松村北斗さん、ジャニーズ事務所入所14周年、おめでとうございます。

お仕事に邁進してる姿、最高にかっこよくて輝いていて、大好きです。

あなたが健やかで、幸せでありますように。

*1:パーフェクトワールド』の渡辺晴人くん出の北斗担。SixTONES担になる前に北斗担になっていた

*2:ちなみに『レッドアイズ』の出演が発表されたのは11月23日なので、約1週間の間にやばい発表が2つあったことがわかる。

*3:2021年1月18日の北斗學園より 雑誌撮影の時に、応援してくれる人の想いも背負って全勝するつもりで撮られているよ、という内容だった

*4:

ぶっちぎり!国宝級NEXT1位・松村北斗の理想のデートとは? | ViVi

*5:伝説のゆごほく「ともだち」生配信 

SixTONES - 緊急ライブ配信 - 6人で語ります! - YouTube

*6:「パフォーマンスを見て、クオリティが高いなと思うけれど、利き手と利き手じゃない手の差がまだある。右手は器用に踊れるけど、左手はそうじゃない。スマホをいじる時に左手でやってみたらどうかな、さらにクオリティ上がるかなと。」2021年8月13日放送回より

*7:2021年2月4日

*8:

ヒロイン・上白石萌音<岡山編>の出演者12人決定!―音楽担当は金子隆博氏― 2021年度後期 連続テレビ小説 カムカムエヴリバディ |NHK_PR|NHKオンライン

*9:オーディションだったと公式に明らかになったのは9月くらいだった気がする。

*10:医療系学生の身、シンプルに医学生北斗くんを見られるのは嬉しかった。キャンパスで本気で探しそうになったけど自制したのを褒めてほしい(?)

*11:

5月31日(月)夜8時放送「女王の法医学〜屍活師〜」、仲間由紀恵主演、バディに松村北斗出演決定! - SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン)

*12:『一億円のさようなら』

*13:基本的にエゴサしてほしくない厄介なオタク

*14:ついでに涙が滲むのでマスク生活万歳

*15:そもそもこのブログのタイトルである「松村北斗の本格俳優元年」はキネマ旬報のインタビューから取っているので、丸わかりかもしれない。

*16:

SixTONES - 【1年ぶりの有観客コンサート】on eST 札幌公演に密着!! - YouTube 時間指定済み

*17:「GINGER」 2022年2月号より 言いたいし、言われたい、と言っていたのでこの言葉を贈りたい。

「カワイイ」と彼の話

ずっとずっと、「カワイイ」ものに抵抗があった。自分が身につけるものに「カワイイ」要素があることに罪悪感に似た気持ちがあった。

「わたし如きがこんなカワイイものを身につけていたら、周りに嗤われる」と本気で信じていた。小学校高学年からそのまま中学高校と過ごして、今大学生をやっている。

 

レースで装飾された服やカラフルな小物、自分が「カワイイ」と感じたものを持つことを、自分で制限し続けてきた。周りから浮かないことだけにほとんど全神経を使い、相手に合わせて服装やメイク、持ち物も何もかも変える。

「教授と話すからブラウスにスカート、メイクは控えめにしよう」とか、「友人と久しぶりに会うから昔もらった髪飾りを着けていこう」とかは今もやるし、それはそれで良く作用することも知っている。「誰かのためにするおしゃれ」は今でも結構好きだ。でも同時に、「自分のためにおしゃれをする」ことを大罪だと信じ込んできた。

他人から殊更ちやほやされたこともなく、かといって、阿鼻叫喚されたこともない容姿である。何がきっかけだったんだろうか。思いつくのは、人間関係が上手くいっていなかったことくらい。容姿が原因ではなかったけれど、それなりの拗れはあった。周りの目を過剰に意識して、浮かないように、と考え始めたきっかけ。今考えると些細なことだけど、それから10年近くも縛されていた。

 

ある日偶然見つけて好きになった彼は、おしゃれがとっても好きな人だった。誰に何を言われようと自分のスタイルを貫き通す姿は新鮮に映った。ハイブランドも古着も着るし、テイストも日によって色々。服飾系の学生である友人がひっくり返るような、めちゃくちゃツウなものを身につけていることもあるらしい。

街頭の窓に映る自分を見てテンションを上げる、なんて「ナルシストか!?」なんてツッコミを入れたくなってしまう人もいるだろうけれど、不快感を与えないか、浮かないか、なんてことで頭をいっぱいにしているより数億倍カッコよく思えた。

 

彼を好きになるにつれ、徐々に影響を受けていった。自分の機嫌を取るためのおしゃれを覚えて、毎日服やメイクを選ぶのが楽しくなって。それでも「カワイイ」と思うものは中々身につけられなくて、憧ればかりを大きくして拗らせていた。そんなとき、彼がViViの「国宝級イケメンランキング」殿堂入りを果たした、という報せを目にした。今思うとそこで何か踏ん切りがついたので、きっかけはどこに転がっているかわからない。

 

心の底から「カワイイ」と思った服があった。ウェブサイトで一目惚れして、気がついたら展示会に行く予定を立てていた。ソワソワしながら会場に入って、「カワイイ」に埋め尽くされた空間にクラクラしながら試着をした。袖を通して、鏡の前に立って、ようやくわたしは「自分のためにするおしゃれ」を本当に許せるようになった。

 

いつかきっかけをくれた彼に会いに行ける日が来たら、その服をまとうと決めている。

 

きっとわたしは今後「カワイイ」ものを身につけるたびに、彼と彼のくれたきっかけを想うのだろう。この柔らかくてキラキラしたおまじないをかけられて生きていこうじゃないか。

 

SixTONESデビュー2周年、おめでとうございます。